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zoom RSS 15年以上勤めた業界。何だったんだろう値下げ合戦。自動車保険。今回は少し真面目に?2。20年前は。

<<   作成日時 : 2011/01/09 18:25   >>

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こんにちは。

昨日から始めたウザい話のつづき。

オレは損害保険会社に入社した。ある意味まったく希望もなかったが、不安もなかった。一ヶ月間の全体研修を終えて次は部門別の研修になった。

部門別の研修になる前に配属が決まる。オレは人事との「配属希望」の面談の際には営業を希望した。
当時、ちょうどバブルがはじけた年であったが、保険会社に入社する者の一部は・・・特にそれは生保に多かったようだが、「資産運用部門」を希望する者が多かった。まだ、そんな時代だった。

オレは入社の目的意識がはっきりしていたから「営業」を希望した。あの「委託契約書」で縛られた「代理店」と呼ばれる人々とどのようにうまくやっていくシステムができあがっているのか・・・というのを知りたかった。

5月の終わりだったか・・・長い、長い研修の末、オレは東京のあるお店に配属された。

当時、自動車保険も火災保険も傷害(ケガ)保険も全てどこの保険会社に入っても同じ値段であった。「料率算定会」というものがあり、そこで決められた「公定料金」ですべてが売られていた。唯一、新種と呼ばれる賠償責任保険なんかが保険会社ごとのお値段となっていたが、収入保険料のほとんどのものが公定料金となっていた。

当時、大蔵省の「護送船団」なんて揶揄されていたのもそんなためだった。

こうした「公定料金商売」の場合、「代理店」という人々への付き合い方はどうなるか・・・簡単なのである。とにかくこめつきバッタのように頭を下げる・・・のが損害保険会社の営業の役目のようなものであった。そして気持ちよく代理店に仕事をしてもらうのであった。
もうひとつ役目があるとすれば・・・自分の会社の「代理店」を新たに作ることであった。何せほとんどの保険がどこで入っても同じ値段なのだから、より多く「売り子」を作った方が勝ち・・・って発想だったわけである。

つまりはオレが考えていた「損害保険会社の崇高なる営業システム」なんていうものはまるでなかったのである(笑)。
しかし、それはある種の安心感ももたらした。オレが学生時代やっていたことは「正しい」ことであったから・・・皮肉なものである。

ただ、オレは・・・いつの日か「公定料金」の商売や代理店との付き合いっていうのがつまらなくなっちまった。そこで会社を辞めれれば良かったのであろうが、そこまでの勇気もなかった。

オレはフリーハンドで値段が決められる「新種」という保険種類に興味を持ち、勉強もした。新種の保険の中でも「組立保険」「機械保険」と呼ばれるものは業界団体「○○保険連盟」みたいなものがあって・・・そこで料金が決められていたからあまり興味が沸かなかった。そうした「連盟」はその後各保険会社に公正取引委員会が入り、逮捕者?まで出て・・・お取り潰しになったけどな。

その後・・・「自由化」というものがやってくる。自動車保険も「自動車保険料率算定会」の“参考純率”と呼ばれる値段には引っ張られるものの、各社で値段を決めるようになった。そして、それは外資系や通販の参入によって過当競争化することとなる。

過当競争の方向は二通りあって、ひとつは「値段」。これはまさしく通販などの参入で競争が激化した。もともと社員に男が多すぎて高コスト体質の旧来の損害保険会社に対して女性オペレーターを多くし、人件費を削減。代理店手数料がかからない分、広告宣伝費をかけ・・・更にはリスク細分化料率を導入して・・・今まで事故をあまり起こしていない契約者を取り込もうとした。つまり儲かる層を取り込もうとしたワケである。

値段が安くなるということはユーザーにとっていいことだ。ただ損害保険っていう「商品」はそれだけじゃいけないってことも事実。そのことは後に書こうと思う。

過当競争のもうひとつは「商品の複雑化」であった。それまで賠償責任保険、搭乗者傷害保険、車両保険等程度で構成されていた自動車保険は次々と新たな特約が発売され、複雑化していった。「こんなものまで自動車保険にくっつけていいものか」と思うような特約も発売されるようになった。旧来からの損害保険会社は主力商品である自動車保険を単純に値下げできない事情もあった。

しかし・・・この特約を増やすこと・・・商品の複雑化・・・これが後々問題となってくる。

自動車保険だけでなく・・・火災保険も傷害保険も「自由化」になった。「自由化」になったということの一つは上記の通り「値段」に反映する。その結果高コスト体質を下げる努力が始まった。
「長くいりゃそれだけ給料が上がる。」他の業界でもそうだろうが、かつて“終身雇用制度”が基本であった日本企業がバブル崩壊後次々とその態勢を止めて行ったことにしばらく遅れて損害保険会社もそうせざるを得なくなった。代理店と「交流を深める」べく使われていた交際費は勿論削られた。

「代理店」は損害保険会社の交際費で酒が飲めなくなった・・・程度なら良かった。損害保険会社は「人件費」を削る努力をしたが、それと並行して・・・いや、それよりも急激に代理店手数料を削ることを始めた。単純に削ろうとしたわけではない・・・信賞必罰的な「良く売る代理店には高い手数料を、あまり売れない代理店には低い手数料を」というような“制度”を導入したのであった。

何かこの時点でそれまでの損害保険会社と代理店のパワーバランスが「大きく」変わったような気がする。もともと代理店という「独立の商人」に対して“委託契約書”という名の厳しい取り決めで縛っていたものが、ついに手数料という名の「代理店の身入り」にまで手を出し始めたのがこのときであった。

「箸の上げ下ろしまでとやかく言われて」
そう古くから代理店をしている方に言われたことがあった。そう・・・この制度の導入で損害保険会社の求めることができない代理店は手数料率を下げられた。それは売上については勿論ではあるが、損害保険会社が打ち出す施策に従えない代理店は・・・手数料を下げられることとなった。

例えばかつて「電話とファクスさえあれば自宅でもできる」と言われて始めた代理店が・・・「事務所を持て」と言われ、「パソコンは必須」と言われた。そして「一生の仕事です。」と言われたものが・・・「手数料率が低くてもやっていたい」と懇願する老齢化代理店の委託を解約した。

オレは「代理店を解約する」ことを主な業務とするセクションに1年2ヵ月所属していたことがある。小規模代理店・老齢化代理店に引導を渡す役をしていた。

確かに「こんな人が代理店をしていても契約者はかわいそう。」という人も数多くいた。しかし、売上が少なくてもパソコンが扱えなくても保険を愛し、一生懸命業務をしている人もまた数多くいた。しかし、会社はそんな定性面やましてや情緒的なことは考えてはくれない。

オレが新入社員の時に委託契約を締結した代理店を10年後、「老齢化代理店」として解約した時は本当に心が痛んだ。彼は本当に損害保険を愛していた。一度も業務上の粗相をしたこともない。売上が増えることはなかったが、減ることもなかった・・・なのに・・・売上が少ないとかパソコンが扱えないとか・・・そういったことで解約をせざるをえなかった。彼はオレからの依頼を快諾してくれた。

彼は「自由化を勝ち抜くには致し方あるまい」と寧ろオレを励ましてくれた。本当に“人物”であった。
「自由化を勝ち抜く」・・・確かにそうだ。ただ、そのとき「小石がなければ城は立たぬ」。そんな言葉が頭によぎった。これでいいのかと。大きな事故が起きれば支払いが大きくなるから、損害保険は単純に売上だけではペイラインが示しにくいが・・・会社から言われていることとは別に本当はいくらの売上だったらペイするのか・・・疑問に思った。

仕事とはいえ・・・心を失っていくような気がした。

このまま行くと・・・と思っていたが、あることが起きて・・・一瞬その動きが止まる。
その理由もまた「自由化」であった。

つづく。

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