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zoom RSS オレの憧れたヤツ。大学教授の息子。オレの先輩。結局後輩にもなるのだが。狭い意見に反駁した日。その2。

<<   作成日時 : 2010/01/23 12:33   >>

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こんにちは。

随分前にブログで書いて続きを書くのを忘れていたものがあった。
オレの憧れたヤツ。大学教授の息子。オレの先輩。結局後輩にもなるのだが。狭い意見に反駁した日。その1。
http://94432163.at.webry.info/201001/article_15.html
ちゃんと最後に「ちゃんと続きが書けるのかなぁ?」という「ボケ、ツッコミ」にて終了しており、こういうことになることを暗示していたかのようである。

こういう「ある人」についてブログをおこすと・・・そのときは「急に思い出して」書くのであるが、数日経つと「書いたことすら忘れる」という情けないパターンとなるのである。

ブログっていうのも「書きたい」って思ったときにさっさと仕上げてしまわないといけないよな。仕事なんかも一緒だけどな。

実は、「その2」なんかにするつもりはなかったわけで・・・前回が1月13日の深夜・・・つまりは酒飲んで帰ってきてブログを書き始めて・・・書き始めたはいいけど、オレがたまにやらかす「西武くさし」「練馬くさし」をしているうちにそっちの方向に行ってしまい、あまり本題に入れぬまま「あー眠いや、もうだめ。」となったのであった。酔っ払っていたからよく覚えてはいないが、たぶんそんな感じなんだと思う。
ちなみに「西武」も「練馬」も大好きだからあんなことを書くわけであって・・・誤解なきよう。

注意力散漫というか集中力がないと言うか・・・普段からそんな感じなところに加えてアルコールの力が加わるわけだから「まともなもの」が書けるわけがないのである。そんなブログをよくご覧になって頂いている方には申し訳ないのだが、残念ながらそんなブログなのである。

で・・・続きを書く。
そのA先輩はオレの入った部活「生物部」の「幽霊部員」であった。つまり名ばかりの「部員」だったんだな。
「クロダイ釣りが好き」なくらいだから「魚類」「生物」は好きだったんだと思う。ただ、彼が顕微鏡を覗いているとか植物採集に参加しているとか言うシーンは一度たりとも見たことがなかった。

彼の姿を見るときといえば「合宿」のときくらいであった。先輩が夜間を通しての実験をするために企画した「校内春合宿」がなんとなく恒例となり、何年か続いていたと思う。

このAさんはその合宿に夜だけ参加していた。何をしにきていたかと言えば「麻雀」なのである。
当時、オレら部員は「麻雀をやるもの」「やらないもの」に分かれており、オレは当然「やる派」だったのであるが、なにせ全員が赤門を目指しているかのような真面目な学校であったために品行方正な生徒が多く、「校内で麻雀するとはなにごと」くらいのことを言う生徒もいたが、OBのご指導?もあり、夜間の麻雀は「まぁ、いいでしょ」ということになっていた。昼間もやってたけどな。

無論、賭けてはいない。というか、賭けていると言ってしまうと現時点のオレでさえ一応「お縄」になることとなっているわけであるが、当時「も」「は」?賭けていなかった。つまり「トランプ」が「ジャンパイ」に代わっただけのものであった。そう、ちょっと世間ズレしたくらい品行方正な生徒に「きっと社会に出てから役に立つよ」という昭和五十年代ならではの「すでに社会に出たOB各位」のご指導でもあったと思いたい。

A先輩は「幽霊部員」であったが「有名人」であった。OB各位からも良く知られていた。その「他に迎合しない」「ミステリアス」な感じはOB各位も興味があったものと思われる。

そして、麻雀がめっちゃくちゃ強かった。オレはA先輩と「卓」を囲んだことがない。なぜかと言えば「相手にされていない」のである。大抵はOBがお相手をしていた。

オレは「卓」の横で彼を見ているだけだった。とても綺麗な手付きで牌を積む。配牌があまりよくないと「うんこ臭ぇ手だな」というのが彼の口癖であったがその「うんこ臭ぇ手」があれよあれよという間に「満願クラス」の手に変貌していくのであった。そしてなかなかできない「下り方」も早かったし、何せ振り込まなかった。
中学2年生に大学生は勿論のこと社会人になっていたOBも勝てなかったのであった。

ところがこのA先輩、いつの間にか学校にもあまり来なくなる。その傾向は実は中学1年生の頃からあったらしいが、オレが入学して彼が中学2年生のときでも・・・出席日数はあまり多くなかったと思う。何とか中学3年生には・・・いかに私立と言えども「義務教育」だから上げていた。

しかし、学校側も高校には上げなかったのであった。つまりオレと同じ学年になった。しかし、彼は確か一度も出席しなかったと思う。「幽霊部員」としてだけなら良かったが「幽霊生徒」となっちまったわけである。

そして、もう1年「留年」していた。確かその年は彼の姿を何度か校内で見たし、久しぶりに部室で麻雀をする姿も見た。ただ、彼は言った。オレに微笑みかけて。よく覚えている。「やっぱ、つまんねぇな。」

そう、すでに彼は「対価のない勝ちゲーム」に付き合うということが「つまんねぇな」ということなんだろうと当時のオレは理解した。

その日を最後にオレはA先輩のことを見ていない。

それからどれくらい経ったか忘れたがある噂を耳にした。
「A先輩がK沼杯ジュニアの部で優勝した。」
K沼とは麻雀道具など娯楽道具のメーカーであり、プロも出るような麻雀大会のジュニアの部で優勝した・・・と言うのだ。

その話がオレがいた部でも噂になったときあるОBがこういった「優勝って言ったって、所詮ギャンブルの道じゃないか。それまででしかない。」
それまでなんとなく「A先輩凄いや」って言う雰囲気だったものがこの“正当性の高そうな意見”に大きくなびいた。

オレは「違う」と思った。
当時単なる高校生、へらへらしているだけのガキンチョでしかないオレに較べ、A先輩は早くも「社会に出る道」を模索しているんだと思った。

そのころオレの小学校の同級生の何人かは中学を出てすでに働いていた。小学校の頃、あくまで「学校の与えたカリキュラム」という範疇で計った「頭の良し悪し」だけで半ば「バカにしていた」彼らを町でみかけると、オレはとても「立派に見えた」ことを覚えている。それにも似た何かをA先輩に感じたのであった。

オレは大先輩であるOBに言った「そうですかねぇ。何の道であったとしても一番はやはり凄いと思います。狭い世界で生きているのはオレたちのような気がします。」
部室の雰囲気がちょっと変な感じになったので、オレはこれから始まるであろうお楽しみの「部室麻雀の時間」を前に早めに部室を出た。

オレは「変なこと言っちまったかな」ということを反省し、一人で学校から少し離れた公園のベンチでタバコを吸った。
ただ、A先輩の言っていた「やっぱ、つまんねぇな。」はオレを含む、その学校の周りにいる連中全てに向けてられていたんじゃないかな、と思った。

その後、A先輩の噂は聞かなくなった。そして彼のことを思い出すこともなかった。
学校は「中退」扱いになっていたような気がする。

もう何年も見ていなかった高校のOB名簿を見た。「あいうえお」順の名簿を見たがやはり彼の名はなかった。

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