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zoom RSS かつて自らが苦しんだ“鬱”。こんな生活しているうちになっちゃったりします。無理は禁物。転落期の前に。

<<   作成日時 : 2010/06/24 07:03   >>

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こんにちは。

昨日のブログの続きです。

私は20代後半から30代前半まで「とある」業界の担当をしておりました。

私自身、最後のバブル期入社組・・・入社直後はバブルがはじけたと言いながらもかなり「バブリー」な商売をしていました。働いていた場所が“新橋”という土地柄もあったのでしょうが、とある金融商品が午前中3億円、午後4億円売れたりもいたしました。今では考えにくいことであります。

私が「とある」業界の担当になったのは、入社4年目、もうすでにバブルの名残などない時期でありました。
新橋のころも世間で名の知れるような企業を担当したりしていたのですが、そのセクションに移ってからはほとんどが上場企業担当・・・最初は右も左もわからず、ただがむしゃらに仕事をしておりました。

「とある」業界はそれこそバブル期は隆盛を誇った業界でありましたが、本来「モノ作る」といいましょうか「モノを作るための全ての手配をする」業界なのですが、バブル期には一部の会社を除いて、どちらかと言いますとその「作ったモノを売る」いえ、「作ったモノを付加価値としてその土台を売る」みたいなことをやっていたために、その当時買い漁った「土台」の値段が下がると一気に財務状況が悪化するのでありました。

日経新聞などにその業界の会社が「会社更生法適用申請」なんていう言う名の「倒産」が話題になり始めてすぐに、それが「対岸の火事」ではなくて自らの身に間接的に降りかかるにはあまりにも早かった。

そのセクション2年目の夏にはすでに盆前の東証引け後、東京都江東区にあったとある会社が東京地裁に駆け込んだのを皮切りに、それこそ「年中行事」のように毎年取引先がその名を変えるきっかけとなる「倒産」をするのでありました。

私は入社前に「倒産」というものに触れております。父が長く経営していた会社が私が大学4年のときに倒産したのでありました。そのときの私は「被害者意識」を持っておりましたし、一方でとある役員の背任行為をきっかけに会社を潰した父には非常に批判的でありました。「甘いね」と。

しかし、「取引先」の倒産を経験し・・・あの当時、本当に「被害者意識」を持ったことを非常に恥じました。そして、上場企業もがかくも簡単に「倒産」してしまう時代に米粒のように小さい父の会社が「倒産」したことについて、「致し方なしかもな」なんて思い、父に批判的だったころのことを反省した覚えがあります。

ちょっと話がズレましたが、何が言いたいかと言いますと、その最初に「倒産」した会社の“戦後処理”をうまく治めてしまったのです。
戦後、オイルショック等はあったとは言いながらほぼ右肩上がりで来た日本経済、そして私が勤めていた業界はたとえ“倒産”ということがあってもほぼ取りっぱぐれのない、つまりは不良債権が生じにくい、類稀な「販売方法」を取っていたがために、少なくとも私が勤める会社は自分たちの商売とは裏腹にあまりにも「リスク管理」に対して弱かったと言わざるをえませんでした。ですから、ある取引先が倒産をしてもそれに対応する「マニュアル」なんてものは当時存在しませんでしたが、なんとなく自分で勉強したり、そういったことに慣れた?業界の方にご指導頂きながら「うまくやってしまった」のでした。

これがあまりよくなかった(笑)。

先に書きましたとおり、この年(1996年)を皮切りに会社更生法適用する取引先が年に1社くらい出て、それ以外にも債権放棄だの、2000年以降は“悪名高き”民事再生法適用など・・・そうなるとどういうことになるかと言いますと最初の「経験値」を生かすために自らの担当先でなくともその“戦後処理”を手伝う、ということになります。

そして、我が勤務実態はすごぶる悪くなるのでした。
よく考えてみれば取引先の倒産=「基本的には営業数字は減る」のですから“戦後処理”とは言っても“敗戦処理”に近い仕事なんですが、「オレにしかできない」くらいに思って意気に感じてやっていた覚えがあります。
“敗戦処理”ではありましたが、おかげさまで誰に教わることなくとも財務諸表が読めるようになりました。世間様はきっとびっくりなさるのでしょうが端くれとは言いながらも金融機関に勤める社員にも拘らず「あまりにも財務諸表が読めない」社員ばかりである業界の中で、そういうことができるようになったことで自分の鼻が高くなっていくのでした。そして高くなるだけなら良いのですが、「鼻柱」も強くなっていきました。これは単なる勘違い、スキルの「過信」に繋がることとなります。

ただ、その結果、会社に「寝泊りする」なんてこと・・・いえ、二晩くらいなら徹夜するようなことが増えました。

まだ若かったので体力もあったんでしょう。「慣れ」というのは恐ろしいもので、そんな生活が普通になってしまうとあまり苦にならない・・・ということになってしまうのです。そして、たまに早く会社を出られれば「一升酒」。
週末も会社に出ることがほとんどでしたが、その合間を縫って「釣り」という気分転換、いえ、ウサ晴らしをしていたのですが、平日は「呑んだくれる」ということをすることによってフラストレーションを解消しようとしていたと思います。

もともと酒は強いという認識はあったのですが、この頃は身体が疲れていても頭だけが冴えきって「いくら呑んでも酔わない」ような感じでした。そしてなぜか大酒を深夜まで飲んでも翌朝はきちんと起きられる・・・そして1時間半近くかかって通勤していても会社の開門時間である午前6時半には「清掃のおばさん」たちとともに裏門に並んでいたのでした。

一方で自分の体力に関しては「こんなにあったのか・・・」と思ったものでした。会社に寝泊りしようが、深酒して翌朝早朝に会社に行こうが、全然平気でした。特に「体育会」でスポーツをやっていたわけでもないのですが、周囲に比べ明らかに基礎体力があることが自ら認識できるのでした。きっとその通りなのでしょうが、これがフィジカルな面での「過信」に繋がることとなります。

その業界の担当も6年になり・・・一応私の勤める会社では同じセクションにいますと「転勤フラグが立つ」のですが、私にも転勤の辞令がおります。

2001年4月、勤務地が大阪に変わることになります。

そして、大阪という地でそれまで培ったと思っていたもの、高い鼻、鼻柱・・・すべて折れることとなります。そして、心も・・・。

転落はあまりにも早かった。

つづく。

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