釣りと戯言とそして・・・

アクセスカウンタ

zoom RSS オレがあの魚を一番最初に釣ったときの思い出。その2。マコガレイ。あるハゼ釣り大会に出た末に。

<<   作成日時 : 2010/02/27 22:58   >>

面白い ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

こんにちは。

前回あまりアクセス数が多くなかったが「シリーズ物」のごとくしてしまったのでいくつか書こうと思っている。
本当は「ヤマメ」って言うのを2回目にしたかったのであるが「投げ釣りブログ村」ってところに参加しているために2回目は「マコガレイ」ということにしたい。最近、季節柄なのか?「戻りカレイ」とか「投げ、マコガレイ」みたいな検索ワードでオレのところに来られる方が多い。完全な「迎合」だな。

そもそもこういうネタで書き始めたのは「いかに初心者が釣りに嵌まって行ったか・・・」ということであり、すでに「その」釣りに嵌まっている人には全く参考にもならないことなんだけどな。

本題に入ろう。

オレはオヤジに付き合わされて?釣りに嵌まって行ったのである。最初は釣堀・・・多摩川・・・そして練馬に引っ越すと前回書いた「オイカワ」なんかが狙える埼玉の荒川水系に連れて行かれた。そして見事にオレは釣りの世界にどっぷりと嵌まって行った。

もう小学校一年生の頃にはオレとしては「立派な釣り人気分」であったことは否定しない。前にも書いた通り、それは単なるオヤジのおかげでしかなかったし、そう大したこともないのに「大人と同じくらい釣れる」くらいの自信を持っていた。

そんなある日、オレはオヤジから「釣り大会に出ないか?」と言われた。
なんでもオヤジの姉、オレからすると伯母が霊岸島で印刷業をやっていたんだが、その業界の「ハゼ釣り大会に出てみないか?」ということであったようなのである。

オレは二つ返事だった。「もちろん、出るよ。」

何でも「ジュニア賞」や「レディス賞」もあるとのことでオレばかりかオフクロも出場することとなった。

オレは当時「ハゼ」という魚を釣った経験はあった。京浜運河、行徳なんぞで釣るそれは真夏の暑い日に運河や河口に立ち込んで小さな「タイコオモリ」をつけた一本針・・・今考えると全く古風なんだが「渋糸」を巻いた糸巻きのついた短い竿で釣っていた。エサは決まってゴカイだった。いわゆるデキハゼ釣りなわけである。

そんな道具立て・仕掛けでも結構ハゼは釣れた。幼稚園児のオレでも20や30は簡単に釣れたと思う。そして飽きると近くの泥を掘ってアサリやアカガイやマテガイなんぞを取ったり、カニと遊んでいたりした。

オレは「ハゼ釣り大会」と聞いたとき、「かなり沢山の魚を釣らないといけないな」と思った。
ただ、オヤジは「デキハゼと違って落ちハゼは難しいからジュニアの部は20匹も釣れば優勝かもしれないぞ。」と言っていた。当時、今よりも何倍も鼻っ柱の強かったオレは「大人の部で1位になってやる」くらいに考えていた。
しかし、オヤジは「大きな中学生のお兄さんもジュニアの部に出るから勝つのは難しいぞ。」と言っていた。

晩秋のある日、釣り大会は行なわれた。確か「浅草橋」かどこか出航だったと思う。舟で釣るハゼは初めてだった。

いつもデキハゼに使う竿は本来は舟で使うものなので使い方はわかっていた。
オレは糸巻きから糸を出すとオモリを沈めた。デキハゼを釣るときは糸なんて出すことはほとんどなかったが舟で連れて行ってもらった「深い場所」ではいくら糸を出しても底に着かなかった。やっと着くと「小突いて」ハゼを狙った。

あまり大きな舟じゃなかったので大会には何艘かの舟が出ていた。他の舟の状況はわからなかったがオレはマークしていたのはただ一人・・・オヤジしかいなかったのである。当時すでに雀牌を握ることもあったオレはオヤジとオジキから「マークするヤツは一人に絞れ」みたいなことを言われていたので(良い子の教育には決してならないので真似しないでください)、オレはすぐ横にいるオヤジを標的としていたのである。「もし、コイツに勝てばオレはジュニアで1位・・・いや、もしかすると大会1位。」

オレはとにかくオヤジに勝とうとした。しかし・・・アタリはほとんどなく・・・しかし、オヤジとその舟でもう一人・・・えらくハゼを釣る人間以外はなかなか竿が上がらなかった。

しかし、オレは常に小突いて釣っていたせいもあるのか・・・無論良く言われるような「もたれ」とか「のり」とか言われるような落ちハゼのアタリは取れるはずも無かった・・・ただ、小突いているうちにブルっアタリがきて一応「竿は上がっている方」だったりしたのである。

しかし、かなり厳しい釣りだったのである。
オレは昼に配られたいぎり飯とハゼの天ぷらを食べながら・・・「こりゃ、ダメかもな」なんて思った。

午後少しだけ釣って大会終了になることになっていた。昼飯中、オヤジが船頭に何か交渉していた。「わかったよー」と船頭が言っていた・・・随分遠くまで舟を走らせた。

オヤジは舟が走る間、何かをしていた。手返し良く。

釣り場は中川か荒川の河口だったと思う。
オヤジはオレの仕掛けのハリを大きなものに替えてくれていた。
そして「手返し良く」していたものをオレにくれた・・・それは・・・「アサリの剥き身」だったのである。

それを付けて底に沈ませた・・・すぐにブルっと来た。でもオヤジはアサリの剥き身をオレに渡すとき「アタリがあってもすぐに合わせるなよ。ゆっくり食い込ませろ。ゴカイより硬いからな。」と言っていた。

オレはそれを忠実に守って何度か竿が引き込まれてから大きくアワセを入れた。かなりの重量感・・・上がってきた魚こそ・・・マコガレイだったのである。

この魚・・・当時の東京にある家庭の食卓にはかなりポピュラーであったのではないかと思う。抱卵期のそれは「煮付け」となってよく食卓に上がった。
だからオレも切り身では知っていたし、どんな魚かは図鑑で知っていた。

大会の対象であるハゼとは別に・・・オレはとても嬉しかった。そして船頭さんが網で掬ってくれ、「これも外道だけどポイントが入るから」みたいなことを言ってくれた。

これがマコガレイとの初めての出会いなのである。それから25年以上経って「異常なまでに」追い求める魚とは当時はまったく思うはずもなかった。

その後2枚くらいマコガレイを釣ったと思う。周りもそんな釣果だったような気がする。オヤジは「こんな結果じゃつまらないだろうからカレイの釣れる場所に連れて行ってもらった・・・」と。それは当時はあまり考えなかったが、オヤジも「これじゃ1位を取れないだろうな。」ということで同乗者を楽しませる釣り場に向けて船頭に舟を向かわせたものと思われる。

大会が終わって・・・検量に入った。
オヤジの雰囲気を見て、オレは「入賞すらできない」と思った。

しかし・・・最初に発表されたジュニアの部では15匹のハゼと数匹の外道で1位だった。
そして・・・「大人の部」でも3位だったのである。

オヤジはオレが「大人の部」で3位となるとかなり苦笑いしていた。今でもその表情を覚えている。
それはオレに対して向けられたものではなかった。寧ろオヤジ自らに向けてのものであった。

オヤジは2位だった。
そして1位はオフクロだった。

オフクロとオレは同じバケツに魚を入れていた。オレは数をかぞえていたがオフクロはかぞえていなかった。オフクロが釣った魚を外したり、エサを付けていたのがオレ・・・だった。オレが15匹とするとオフクロは23匹だった。オヤジに比肩するほど竿が上がっていたのは「オフクロ」だったのである。

オフクロはたぶん冷静で・・・オヤジと大差ない竿の上がり方をしている自分を見て伯母に「私、レディスは辞退します。」と言っていた。そしてオレに「全部あなたが釣ったことにしちゃいなよ」とも言っていたが、まさかそんなこともできないので、正確に申告させた。

オヤジとオフクロは同数だった。だけど最後に行ったマコガレイの釣り場で1匹の差が出てオヤジは負けた、のである。

オフクロが「大会優勝者」としてマイクで何かをしゃべっているとき、オヤジは悔しそうな顔をしていた。オレは生意気にも「これもお父さんのおかげだから・・・」みたいなことを言ってなぐさめたような気がする。ただ、オヤジは「オマエがお母さんの世話を焼きすぎるからだろ」と変な言いがかりをつけられたのを覚えている。

その日がオレのマコガレイに初めて会った日。
もう今や「腐れ縁」になっちまっているけどなぁ。

「戻りカレイ釣るために帰省したいんじゃない?」と思われた方、「ブログ村」ボタン↓クリックお願いいたします。
にほんブログ村 釣りブログ 投げ釣りへ
にほんブログ村 サラリーマン日記ブログ 40代サラリーマンへ
にほんブログ村
にほんブログ村 釣りブログ ヘチ釣りへ
にほんブログ村















ASPアクセス解析

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 1
面白い

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文

マイリンク集

オレがあの魚を一番最初に釣ったときの思い出。その2。マコガレイ。あるハゼ釣り大会に出た末に。 釣りと戯言とそして・・・/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる