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zoom RSS オレの憧れたヤツ。大学教授の息子。オレの先輩。結局後輩にもなるのだが。狭い意見に反駁した日。その1。

<<   作成日時 : 2010/01/13 00:08   >>

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こんにちは。

オレの人生のピークっていうのは12歳のころ・・・って話は何度かしたと思う。
その頃も自分なりには「大したことない」という理解であった。今持つ「感想」があくまでその頃が「ピーク」というだけなのだ。

小学校では「一番」の成績であったが、それは「井の中の蛙」というもの。オレの住んでいた「練馬区」という土地柄があまり誉められた地域ではなかった・・・いや・・・「学力が高い」とか「高級住宅が多い」なんて地域もあったぞ。だから「全部が全部」ってことではなかった。

それにそれから30年くらいが経ち・・・一時期の「遷都論」なんぞバブル期の金余りの発想、もっともっともっともっと東京への一極集中化がたとえ「練馬区」であろうとも・・・都内では広い土地に、実はあまり「大根」は作っていなかったが、カリフラワーやブロッコリーやキャベツを作っていた土地柄・・・そして「都市に緑地をお届けしています」という固定資産税逃れの小賢しい「エセ農民」が幅を利かせていた土地柄も、世代交代という逃れえぬ「相続税」という結果、いかに大●建託あたりが頑張ろうと言えどもそれらの持つ土地は「デベロッパー等」に買い求められ、50年遅れの「真の農地改革」が進められたのではないであろうか。

それにかつては「おわい電車」と呼ばれ、「うんこのついでに人が乗る」ような武蔵野鉄道も「西武池袋線」となってからはなかなかアクセスの良い路線となっていた。オレが住んでいた頃でこそ、「路面電車」にも似た風情があり、関東平野を「ひた走る」アップダウンのない電車の終着駅はゲロ臭い池袋という「垢抜けないけど愛すべき」路線はいかにも「西●王国」の“土地を面で押さえる”という「平面的な発想」でしかなかったような気もするが、ちょっと考えれば高架だとか、更に金はかかるけど「線路を地下に埋める」という発想は、その後の「ちょっと不動産市況が良くなった」時に西●だけでなく「電鉄各社」の息を吹きかえらせる絶大なる効果とともに恐らくはその沿線の住民をも、多様化・・・いや、練馬区においては「高度化」したと思いたい。「高架化」「地下化」に人知れず「血税」が投入されていたかどうかはよくわからない。よくわからないんだが、そんなことはどうでも良いのである。よくわからないほどに問題視されていないってところに同時期のゼネコンや銀行とは一線を画しているからそれで良いのである。税金となっちまったからにはどうのこうのと言わない日本人が大好きだ。マスコミという「いい加減な権力」がモノ申さない限り、何も考えない日本人は「とっても野党」的でいいと思うぞ。無論、私見だけどな。

今の「練馬区」はきっと・・・だが・・・「都市」になっているのであろう。

オレはそんなこと・・・今の練馬・・・を言っていたのではない、当時の練馬を言っていたのだ。とにかくオレの住んでいたところは「練馬の中の練馬」と言って“ふさわしい”土地柄であったのだ。練馬区の中に「練馬」という土地もあれば「練馬駅」というのもある。しかし、オレは断固として言いたい。オレが住んでいたあたりが「練馬の中の練馬」と。

それは「力がすべてを制す」という感じで良かったのである。喧嘩の強いヤツが一番であったのだが、それでも「大土地所有者」には勝てないみたいな感覚は、オレが二つ先の駅の「塾」に行っただけで「時代錯誤」を感じさせてくれたワケなのである。無論、『時代錯誤』なのは「塾」ではない。オレが日々過していた場所の方なのだ。それだけ「印象の強い」日々を送っていたということなんだろうな。

だから「学校で一番」でも全然「信用できなかった」のである。現にオレの行ってた塾でもМちゃんとTちゃんと言う「頭の良い練馬区民」がいて・・・オレは「メッタくそ」にやられていた。彼らは「頭の良いうえに良い子」だったので決してオレを腐すことはなかったが、内心「頭の悪いヤツだ」と思うと共に「品のないヤツだ」くらいには思っていたと思う。
オレが塾で誉められたのは「算数と国語の点数が低いながらもほぼ一緒」という“低値安定”という事象だけなのである。

ただ、フロックというか何と言うか・・・他の二人と一緒に「赤門合格率の良い」中学に合格してしまうのである。ここをもってオレが「ピークは12歳」というわけである。それ以外に何モノでもない。結果が全てだ。その後はその頃のアラで食っているようなものさ・・・未だに転落を感じえずにはいられない。

ただ、それを「ピーク」と言うには・・・「その頃の日本の中にあるカースト」に一応乗っかっていたというだけの自信があるから・・・と言うのもある。実は伴わなくとも「名」だけは・・・。
それはいかに「貧民窟」のようなところ出身だとしても・・・で、ある。

でもな、オレはオレなりに「そんな土地柄で生きてきた」自負心みたいなのがあってな。何か周りの同級生、先輩、後輩とは・・・違うものを持っていたような気がするのさ。

何か「画一的」な人々の中で・・・小学校で抱いていたものとは全く「真逆」の選民思想を持った気がした。

ただ、その「おりこうさん集団」の中学に入学すると・・・「衝撃の先輩」に出会うのであった。オレなんぞ「甘ちゃん」と思わざるを得ない先輩に出会った。

オレの1年先輩であった。ただ・・・1年違いの『中坊』にも拘らず、どこか「大人びた」そして「陰を持った」先輩なのであった。
ここではAさんとしよう。確認したわけではないが、有名な大学の教授の息子と言う話であった。

そのAさんはオレの知らない世界の「釣り」が好きだった。オレは彼に「あるサークル」に勧誘された。初めて声をかけてくださった先輩のような気がする。勧誘されたのは「学校が認めていない」“釣り愛好会”というものであった。一期生はAさんとそのもう一人同期・・・体格のいい先輩で「相撲研究会」、略して「スモ研」と呼ばれていた。この二人で「勧誘」をしていた。

彼らは当時オレの知らない釣り・・・「クロダイ釣り」ばかりをしていた。オレはその話を聞くといつも「へーっ」と思ったね。それはそれでとても「憧れ」であった。

ただ・・・オレはそのAさんにそれ以上の「憧れ」を持つのであった。そんな「おりこうさん」学校での“選民思想”とは違った『アウトローな感覚』。これを彼に感じえずにいられなかったのであった。

この話「も」、つづく。

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