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zoom RSS 入院中暇だとテレビや雑誌を見てしまったり。選挙を前に官僚=悪という論調はそれでいいのか?という疑問。

<<   作成日時 : 2009/08/25 06:52   >>

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こんにちは。

24日月曜日・・・約2週間ぶりに出社をした。
オレは普段、ゴールデンウィークなんていう何日間か連続で休みがあるだけで非常に不安を感じるのである。
何が不安かと言えば、オレくらい自分を律することが下手くそな人間はなかなかいないと思っているし、その人間が長く“勤労という名の義務”を休止すると、自分を「さておいた」権利意識も持つ自分が義務を果たさずして権利ばかりを言うようになるのではないか・・・つまり「働かずして」今までの「口先人間」だけは継続してしまうという不安が襲うのである。

「勤労に基づく収入」というのは、“家庭持ち”という立場となればすでに「自分だけのもの」ではない。いや、“行為”という現象だけをとって言えば快楽を果たすがための配偶者と快楽の末にできた子供とを養い、自らを社会の中の体裁というこれまた精神的な快楽を果たすがために厭わずして「勤労」という義務と「納税」という義務を果たしている部分はオレの場合「大いにある」のであり、それをすでに「自分だけのものではない」などという美化された言葉によって自らを鼓舞する材料にしているに過ぎない、なんて思うのである。

そんな不埒な心持の末に「勤労という義務」を続けるということのモチベーションを作り出しているということを冷静に考えることすらないほどの「日常」なのであるが、2週間も働きもせずにいると“暇”なもんだからいろいろと考えるのであった。

ゴールデンウィークは世間一般も「基本休み」なのであり、その日程を働かずして過ごしてもやや納得感がある。そういう意味では「かわるがわる」ではあるもののこの「お盆休み」というのもカレンダーの上では休日じゃなくとも「世間一般も休んでいるヤツがマジョリティ」なんていう“季節柄”、自分を納得させるだけの「日本の生活慣習」上かつ「商慣習」上の気休めがあったからこそ、「手術してください」なんていう言葉も自らの口から出たのかもしれない。

したがって、手術するには世間に対しても自らに対してもまずまず良い時期だったと言わざるをえない。

今日会社に行くと「ゲッ、ホントに出社してきたよ」なんていう周囲の感想。オレとしては「長すぎた夏休み」と思っていたにも拘らず、周囲としては「病気」という現象、かつ「ちょっとヤバかった」という“噂”は2週間現場にオレがいなかったことなど「当たり前」にしてしまうのであり、それは「2週間もオレがいなくても」なんら不自由なかったということを如実に表し、オレの代わりなんぞいくらでもいるんだなってことをオレに知らしめているのであった。そう、それだけに2週間で現場復帰したのはオレにとって「大いに正解」だったのであった。

そんな思いがあっても2週間ぶりの出社はやはり「かなり疲れた」のであった。「日常」とはこうも大変なものだったか・・・と改めて認識させられるのである。

2週間の「人生の休暇」っていうのは痛みを除いては本当に「暇」であり、特に入院期間は大半ベッドの上にいたので普段やらないような「テレビを見る」とか「雑誌を見る」とか「本を読む」とかをしてしまったのである。実家に戻っても「釣りにいく」「ウォーキングする」なんてこと以外には同じような生活だったのである。

こういうことを書くと「そんなことさえ普段しないのは寂しい人生だねぇ」と言われるかもしれない。現実、実社会では例えば「本を読まない」ということだけをとってそういうことを言われたりするのであるが、オレは過去年間300冊くらい本を読んでいた時期もあり・・・ただ、それがどれだけ自分の糧になったかと言われれば「そーでもねぇな」っていうことを思ってしまったのであり、さらに今や半端者ながらこうして毎日「他人も見れてしまう日記」なんぞを書くに至って「自分の意見がない」人間が「立派なモノカキの影響」を受ける、いや、「真似になる」こと確実であり、他人がどう思うかは別としてオレ自身が「面白くねぇだろーな」と思うから「人に読ませよう」としているプロの文章はなるたけ見ないようにしているというだけなのである。この辺はいつか別の機会で書きたいと思っている。

ただ、あまりに「暇」だったのでそれらを「やっちまった」んだな。

あるときテレビを見ていたら「まえだまえだ」って言う小学生の“兄弟漫才”をしている子供なんかが出ている番組をやっていて、「子供の意見」に同調する子供と大人、反対する子供と大人に別れて“議論?”っていうのがあった。
「まえだまえだ」っていうのはオレが唯一見るテレビのジャンル「お笑い番組」なんかにも常連で「ネタ作りの作家」がいることは明らかなのであるが、その番組では「素」の子供に戻って意見を言っていたのだが、「なかなか立派な」ことを言っていたぞ。
裏に「作家」がいようともああしてメディアの前で漫才ができるだけあって賢い子供ということは理解できた。

この番組とてバブル期に流行り、確か今もやっているのではないか・・・と思われる金曜日深夜の「討論番組」(すまん、ほとんどテレビ見ないからどーなってるか知らない・・・)の焼き直しでしかなく・・・そことの差別化を図るのは「子供」という“弱者”を主役にして年端もいかないものが強く意見をしていても「どーせ子供の言う事」と番組への論調を落とさせて、番組の見易さというかオーディエンスへの迎合を期待しているに過ぎないような番組に“オレ”には映っていた。

その番組の中で「子供に選挙権を与えるべきかどうか」という議論?のテーマがあった。番組的には「権利意識の強い子供」つまり“弱者”、を賞賛すべきものとして「意見の方向」がソッチに行くように誘導していたようであり、それこそが現在のテレビ番組の「現実」と言われてしまえばそれまでかもしれないが、芸能人は別としても識者や政治家も出ていて、ソイツらが最後まで小学校の教科書にも出ている「日本人の義務と権利」について話すことはなかったのである。

もうすでに「義務」を語ることすらいけないことになっちまったのかねぇ、というのがオレの感想なのであった。「弱者救済」は美徳ということは間違いないのかもしれないけど、義務も果たすことがなかったり、義務も果たすことががなくなった「権利意識の強い者」を守ろうとする(オレからすると)「誤った」弱者救済的な論調が受けるということ。。。なのかもしれない。すでに「弱者」の同情をするほどほとんど全ての者(マジョリティ)がすでに生活を守ることすらままならないのに・・・いや、そういうヤツらが「弱者救済」を叫ぶことによって弱者との“差別化”を図っているのかもしれない。弱者への「優位性」というか・・・ね。

大衆心理は時代に左右されるもの・・・とは思っている。だけどな、あまりに軟弱すぎやしないかい?

たぶん、この話、つづく。

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